【異世界農家】#1 ちょっとまだ収穫中なんですけど!?

   

「ふぅ……これでようやく100本ってとこかな……」

辺りには微かに甘い香りが漂っている。熟したスイートコーンの果糖とブドウ糖の匂いだろうか。そこに混じる、昆虫たちの活動する香り。……おそらく、アワノメイガやカナブンたちが集まってきているに違いない。

一瞬、虫を退治することを考えるが、そんな装備は揃えていないことを思い出し、ふるふると頭を振ったついでに、手拭いで汗を拭う。晩夏の涼し気な風が辺りを吹き抜けて心地良……かったらいいのだが、生憎最近の天候はかなり良くない。

長野とは思えないほどの湿度の高さに、相変わらず不快指数は上昇中だった。

俺、ヤマダヒロキは、畑でトウモロコシの収穫中だった。こう見えて新米農家をやっている。
数年前に晴れて東京の社畜生活を卒業した後、しばらく研修を受けたのちに、こうして長野県上伊那郡で新規就農をすることになった。

なんで農業を始めたのかとか、なぜ長野に移住したのか……とか、まあ話すと長くなるのでとりあえずは置いておこう。

それよりも、とにかく今は実らせたトウモロコシ、スイートコーンのゴールドラッシュを収穫するのに忙しかった。ちなみに、ゴールドラッシュっていうのは品種の名前、スイートコーンってのは甘くて人間が食べる用の野菜っていうことだ。

まあ、人間が食べてうまいって言うんだから、当然動物や昆虫にも人気があり……って、ん!?

ガサガサ……ッ!

「何者だっ!?」

思わず、忍者に密談が見つかった越後屋のようなテンションで音のした方向を振り向く。……長野には、ふつーに熊が出るからな。注意しておかなければならない。

でもまあ、北海道とは違って羆ではないし、この辺りはまだ集落が近いので、多分問題は無いだろう。実際、今の音も小型の動物ぐらいの気配だったし、きっと猫か何かに違いない。山沿いの方にはたまに熊も出るって話だけど……?

そう思いながら音がした方へ近づいていくと、トウモロコシたちの間に、何やらもさもさしたものが見えた。

「ん……?あれは……」

もさもさしたものは、地面の辺りで何やらもぞもぞと動いている。ただ、もさもさしてはいるが、もふもふまでは行かない。ややスリムで薄汚れた体毛だ。

そして琥珀色に近い毛で全身を覆われ、その長めの尻尾と手足の先のみが白く染まっている。全体的にスリムな体型をしており、その顔もどことなく三角形な……って。

「キツネか……」

……ちょっとまだ収穫中なんですけど!?

こうして俺が姿を見せているのに、逃げようともせずに夢中でトウモロコシに齧り付いている。余程腹が減っているのかもしれない。

だが、腹が減っているのは俺だって負けちゃいない。このモロコシにいい値が付かなければ、また今年もカレーとラーメン三昧の日々だ……!あの侘びしい日々を思い出し、キツネの方へと近づいていく。

それに、キツネにはエキノコックスという寄生虫もいて、人間に感染症を引き起こす場合もあるので、いずれにせよ放置することはできない。……何だったら、俺がこいつを食ってやりたいぐらいだというのに。

「おいこらっ!お前っ!」

折角育てたトウモロコシを食い散らかされ、俺は思い出したように腹を立てると、モロコシを齧り続けているキツネを脅かすように呼びかける。

俺は猟師でもないし、興味はあったが狩猟法も勉強していなかったので、キツネを捕っていいのかも分からない。まあ下手に触ろうとすれば、返り討ちされて痛い目に遭うのは、近くの野良猫を手懐けようとした時にもう懲り懲りだと知っていたので、ここは脅かして畑に近寄らないようにするのが一番だ。

……そう判断して、大声でキツネを脅かすことにした。

近づいて見ると、どうやら子供に近いような小さな体のキツネだった。お世辞にも健康的とは言えないような体をしている。

奴は俺が近づいてきたことにようやく気づくと、ビクッと体を震わせてこちらを見る。しかし、野良猫のように身を固めてこちらを見るだけで、逃げようとはしない。

……俺は、油断なく身構えながら、そいつへと近づいていく。

「ほほう、いい度胸だ……」

飛び込んできた道場破りに稽古をつけてやる師範代のようなテンションで、小さなキツネへと近づいていく俺。一応、右手には拳を握っている。

辺りには急に緊迫した空気が張り巡らされた。一瞬の隙を付いて動き出そうとするキツネ。

それを眼力で抑えながら、一矢報いようと近づく俺。

外ではすり足はできないため、ゆっくりと一歩を踏み出していく。目は逸らさないままだ。しかし……!

タタッ……。

奴は呆気なく身を反転し、走り去っていく。

……おいおいさっきまでのあの果たし合いの空気はどこへ行ったんだ?この臆病者め!

俺は収穫そっちのけで、逃げるキツネを追って走り出した。孤独な一人暮らしにも飽きていた所だ。こんなことでもやってないと、いつかミイラになって孤独死してしまう。

まるで魚を盗られたフグ田さんのような気持ちで、狭いトウモロコシたちの間を縫ってキツネを追いかける俺。

ツナギを着て帽子を被っていたからまだいいが、これが半袖とかだったら、トウモロコシの葉で切れて肌がエライことになっていただろう。

イネ負けの恐ろしさを改めて思い出した時、ようやく畑の出口が見えてきた。

薄暗いトウモロコシ畑の外からは、眩い光が差し込んでくる。あれ?いつの間にか晴れてきたのか……?そんなことを思いながら、俺はキツネを追いかけて、トウモロコシの間から外へと飛び出した。

光が目一杯差し込んでくる。

一瞬だけ、体が宙に浮かぶような感覚。

仄かな甘いトウモロコシの匂い。

それらが一緒くたになり、少しだけ俺は目眩を覚えた。

そして……。

 

「あれ、ここは……?」

俺が目にしたのは、見たこともない異世界の風景だった。

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