【異世界農家】#40 力を……誰か俺に力を……っ!

「まだお前……絶望を味わったことがないな?」

ゴウダツの放ったその言葉は、初めて俺に実感を伴った文字通りの『絶望』を想起させる。

始めにコボルドの族長が蹴り飛ばされて、茂みの向こうへと沈んだ。その後、ルルガがやられ、ミミナも同様に意識を失っている。

シバは賢いせいか、どこかに隠れているようだった。

獣たちの姿も見えず、ジャングルの近くだというのに、辺りには不穏な静けさが漂っている。

……俺は、否応無しにゴウダツと一人、向き合っていた。



奴の言葉に、何も答えられる台詞がない。

それを十分に楽しんだように見えた後、ゴウダツは再び口を開いた。

「……この程度か、まあいい。貴様らがこっちで遊んでいる間にまんまと周りの部族を制圧することができた。今回はこれぐらいの戦果で我慢してやるかな」
「なっ……に……!?」

ゴウダツの口から出た意外な言葉に、俺はピクッと反応する。

「ま、周りの……部族だと……?」
「ぎゃははは!間抜けが!コボルドをナメたお前たちが、茶色の子犬どもとじゃれあってる間に、俺たちはまんまと周辺の部族を襲撃してきたんだよ!……今頃は一体どれだけの集落が残ってることか」
「なっ……!」

まさかの……この一連の事件そのものが、陽動だったということなのか……!?

信じられない言葉に、俺は返事すら失う。

相手がコボルドだからと言って、俺たちは完全に油断をしていた。

だが、こうして俺たちの誰も敵わないようなコボルドが目の前に存在しており、まして想像以上の戦略を兼ね備えていたなんて……間抜けと言われても仕方ない。思わず自問してしまう。

俺はどこか……『異世界』なんて言葉で、都合のいい解釈をしていたのではないか。

のほほんと暮らしていれば、誰かがどこかで助けてくれる……そんな風に思っていたんじゃないか?

だったら、平和ボケもいいとこだ。

いつの時代、どの場所だって、生きていくためには必死で毎日を過ごすしか無い。……そんな単純なことを、平和な日本で忘れていたんじゃないか……?

 

「まあ最後に、役に立たない無様な子犬の息の根くらいは止めておくかな」

 

そんな俺の考えを嘲笑うかのように、ゴウダツの重くて冷酷な言葉が聞こえてきた。

その視線の先には、さっき向こうの木までふっ飛ばされたコボルド族長の姿がある。

……つい先程までは敵として戦っていた存在だというのに、捨てられたぬいぐるみのような薄汚れた姿で地面に伏している族長を見ると、何故か咄嗟に言葉が出てきてしまった。

「や……やめろっ!」
「やめろ……だと?」

ゴウダツの目が鋭く光る。

「弱者の言葉になど……何の力もねぇよ」
(ヤ……ヤバ……!)

そう思った時にはもう遅かった。

 

ドガッ!!!

 

「ぅぐはっ!!!」

生身の人間である俺には追い切れないような速度で、ゴウダツが俺の方へと向かってくる所までは見えた。

だが、その後は何が起こったのか分からず、気が付いた時にはもう既に、全身を駆け巡る痛みと、飛びそうになる意識と、実際に吹っ飛んでいる自分の体の姿だけが辛うじて理解できた。

「ゴホッ……ガ、ガハッ……!」

どうやら蹴られたらしい……という所までは認識できたが、それ以上の思考は無理だった。

全身から火が吹き出すほどの激痛。

(痛い痛い痛い痛てぇ痛てぇ痛てぇ痛痛痛痛……あああぁっっっ!!!)

ただそれだけしか考えられない。

肋骨が……やられたか?痛すぎて正常な思考ができない。

起き上がることさえできなかった。

吹き飛ばされた俺の体は、精魂込めて耕した畑の中で、発芽したばかりの何本かのトウモロコシをなぎ倒して転がっていた。

ただ、手に持っていた鍬がたまたま蹴りの衝撃を和らげてくれたのか、ギリギリで体は動く。

鍬の柄は今の衝撃で折れてしまったが、このまま這いつくばっていては、逃げることさえできない。

俺は歯を食いしばって動こうとした。

「ぐ……あ、ああぁ……っ!!」

その途端、電撃が全身に走ったような衝撃が貫く。

どっちかの腕の骨も……左か。左の腕の骨もイカれているようだ。感覚がほとんど無い。

 

「ちったぁ頑丈にできてるようだなぁ、ニンゲン」

 

残酷な言葉が響いた。

数m先から、俺を見下すように視線を送るゴウダツ。

その体には、まだかすり傷ひとつ付いていない。……圧倒的なまでの戦力差だった。

俺は地面に這いつくばった状態からその姿を見て、怖れ意外の感情が生まれてこなかった。

 

ただ完璧なまでの、暴力。暴力。暴力。

きっと膝が笑っているだろうが、痛みのせいでそんなことも分からない。

怖くて、悔しくて、情けなくて……目の前がぼやけてきた。……泣いているのか?

分からない。

だが、僅かに残っている闘志よりも、恐怖の感情の方が心を占めてくるのが分かった。



(駄目だ……俺では奴に……勝てない……)

 

徐々に暗く闇に閉ざされそうになる俺の心に、どこかから掠れた声が聞こえてくる。

「ま……待て……っ」

まだ半分ほど開いていた右目で、声のする方を見る。

そこには……さっき蹴られた腹を押さえながら、よろよろと立ち上がるルルガの姿が見えた。

「ル……ルルガ……」

満身創痍のような体で辛うじて立っているルルガを見て、ゴウダツがニヤリと笑う。

「しぶといな。さすが巫女。念を入れとくか」
「ぁぁっ……!がはッ!」

勝負になどならなかった。

呆気無く、ルルガは再びゴウダツの腕に薙ぎ払われて、地面に伏す。

そのままピクリとも動かなくなった。

俺は彼女に対して何か声を掛けたかったが、喉の奥からはゼーゼーと空気が漏れるだけで、音にはならない。

(駄目だ……無理だこんなの……何とか逃げるしか……いや、それも無理じゃ……)

視界が暗く染まっていく。

握りしめた右手には、これまで僅かの間だったが、苦労して開墾した畑の土が収まっていた。

 

……やっぱり駄目だったのか。

 

農家なんかじゃ、世界を変えることなんかできるわけないのか。

 

俺には何の力も無い。

 

誰かのお腹を満たすことで、心も満たせれば良かった。ただそれだけの事だったのに。

 

俺の作った物を、誰かと一緒に「いただきます」って、そう言いながら食べたかっただけなのに。

 

農業は……人の営みは、こんなにも簡単に暴力によってぶっ壊されてしまうだけのものだったのか。

 

力が……力が欲しい。

 

どんな暴力にも屈しない力が。

 

誰を蹂躙するでもなく、弱者を虐げるでもなく、世界の全てなんかじゃなくていい。

せめて……俺の手の届く範囲の人だけでも守れる力が。

 

だが、自然は残酷だ。

誰よりもそのことは俺が分かっていた。

僅かの間だったが、これまで自然と接してきて、十分にそのことは理解していた。

生物は、圧倒的な存在の前には無力だ。

どんなに強いカマキリだって、ネコには勝てない。それが自然の摂理だ。

段々頭がぼんやりしてきて、薄れかけていく意識の中で、漠然とそんなことが浮かんでくる。

痛みもどこか遠のいていく気がした。

そんな半分夢のなかにいるような状態で、俺はとにかく悔しくて仕方がなかった。

 

力を……誰か俺に力を……っ!

 

「やめてくださいっ!」

その時聞こえてきた甲高い声が、俺を再び現実へと戻した。

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